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「木育への想い」5

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「木育への想い」4

前回は「水」のこと。川からだけでなく、樹木からも得られる「水」。
ゆったりした時の流れの中で生活できることを少しでも感じてもらいたい。森というフィールドは時の流れをしっかりと見続けながら考えられる場所。「木育」のスタートは森であり、「作られた木」で遊ぶことではない。
森を通して育み、考えることの大切さ。有り余るものの中で生活していると、恩恵を受けているものを見失ってしまう。もう一度その原点を見直すことが「育む力」になるのではないだろうか。
どんな仕掛けが自分なりの「木育への想い」を伝えることになるのか?いろいろなアプローチで子供だけでなく、大人にも発信していきたい。

 

■森へ行く木育

白色に覆われた森が徐々に色を変える春。でも、いきなり緑色に変わるのではなく、地面はまだ茶色。
少しずつ強くなってくる日光を浴びながら木々たちは色を変える。赤みを帯びた葉の色から緑色へと変わるもの、薄い緑色から濃い緑色へと変化するもの。花を先に咲かせてから葉が出るもの。木によって成長する戦略は異なる。木々の戦略が見られるのは単純な森、人工林ではあまり味わうことが出来ない。多様な森は他の生物だけでなく人間にも恵みを与えてくれる。森づくりに関わる者としては多様な森をどのように造っていいか、そんな変化を届けられるような森づくりをしていきたい。

 

話はちょっと逸れたが、春になり太陽の光を浴びて生物は眠りから目覚め、人は森の恵みを拝借したくなる・・・それは「山菜」。スーパーなどでも売っているが、栽培物では本物の味わいは得られない。スーパーで山菜を買うなんてご法度、やはり山で採って食べる山菜が本来のもの。しかし今の生活ではわざわざ山に行って山菜を採ることは少ない。

山菜は木育からはずれているように受けとられるかもしれないが、森がスタートとなる木育は森の産物を知るのも「普段着の木育」であろう。森のどんなところに生えているのか、自分はどれだけの量を採ればいいのか。一つ一つを森で学ぶことに意味があり、自分だけではなくシェアすることの大事さも学んでほしい。

 


 


山菜には独特のえぐみが強いものが多いなか、えぐみの少ないものとしては山菜の王様「タラノメ」がある。 皆さんも口にすることはあるだろうが、実際に山で採ることは難しい。私の山林にもタラノキがあり、毎年のように山の恵みをいただいている。それ以外にもウドやタケノコなど、採れたての山菜をその場で天ぷらにしてしまうという、ちょっぴり贅沢なことまでできる。森の山菜は採れる時期が限られているので、季節の変化や気候の違いを感じながらら森と接することが身についてくる。何でも簡単に手に入れられる時代だからこそ「ありがたみ」という自然からの恩恵を感じることが大切なのだろう。

 

山菜の話は、木育より森育という言葉のほうがピッタリなのかもしれないが、「森へ行く木育」の一つとして「美味しい!気持ちいい!」と森の中で叫びたくなる、そんな姿が私の考える「普段着の木育」だ。
次回また想いを書き綴ってみたい。

北海道水産林務部道有林課
 齊藤文美