木育カフェ(夏の部)報告
「宮大工・北村智則さんのお話を聞く会」
8月29日(日)に札幌の旧永山武四郎邸2階和室で開催した木育カフェ。
法隆寺金堂などの復興を果たした宮大工・西岡常一棟梁の孫弟子である北村智則さんからお話をうかがえるとあって、建築設計関係者、木材会社関係者、木工家具作家、北海道教育大学木工研究室の先生と学生など、参加者は多岐にわたりました。会場の都合で定員は25名でしたが、「ぜひ参加したい」とご希望される方が多く、定員を上回る31名のみなさんにお越しいただきました。
北村智則さんは、1958(昭和33)年、大阪府茨木市生まれ。
父は建具職人。高校卒業後に宮大工になろうと鵠(いかるが)工舎(代表:小川三夫)に入り、薬師寺西塔や法輪時などの社寺建築や修復に携われてきました。4年前から竹中大工道具館(神戸市)の技能員をされています。今回は、竹中大工道具館開館25周年記念巡回展「棟梁―堂宮大工の世界」が札幌で開催されるに際し来札されましたので、木育カフェのゲストにお招きしました。
会の前半は、北村さんから宮大工の仕事などについてお話をうかがい(聞き手:西川運営委員)、後半は鉋掛けの実演を見せていただくとともに参加者の鉋削り体験会を行いました。
前半の北村さんのお話から、興味深い箇所をご紹介します。
◇宮大工と家大工の違いは?
まず、扱う木材の大きさが違う。寺社に使う材(主にヒノキ)は太いし長さも4〜5bものを使う。樹齢が千年くらいのものを使うこともある。そういう材を扱う際にびびってはいけない。度胸がいる。ちょっと寸法を間違えたといっても、取って代わる材がないのだから。宮大工の仕事は何百年も残ると言われるが、それは成功しても失敗しても残るということ。
もう一つ違うのは、道具の種類。宮大工は、いろいろな作業をするので道具がたくさんいる。ただし、西岡棟梁が復活させた槍鉋については、宮大工だから持っているという道具ではない。復元作業の時に用いる。室町時代に台鉋が使われるようになって、効率よく作業ができるようになり、やり鉋は使われなくなった。室町時代以前の寺を復元する際に、当時の姿を残すために見えるところだけ槍鉋で仕上げる。
◇木の乾燥について
基本的には、天然乾燥した木材を使ってきた。人工乾燥(略して、人乾〔じんかん〕)の技術も発達してきたので、最新の事情はわからないが、どうも人乾は脂分が抜けてしまうのか、削っていてもモサモサした感覚がする。長年持たすには、天乾(てんかん)を使うほうが安心できる。
◇法隆寺の宮大工に伝わる口伝について
「木を買わず山を買え」「木は生育の方位のままに使え」「木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」といった口伝については、今の時代においては、そのまますべて実行はできない。心掛けてはいるが、材料は木材店から購入するし、節の多い箇所を見せるのを嫌がる施主さんがいるので方位のままに建てられないこともある。西岡棟梁の時代には、まだ木も豊富にあったので、口伝のとおりにできたと思われるが、今は現状に合わせながら対応している。
後半は、みなさんお待ちかねの実演です。槍鉋と台鉋を掛けてもらいました。ヒノキ、ヒバ、クスノキなどを、北村さんが手鉋で見事に削り出していきます。台鉋は、力いっぱい引くという訳ではなく、すうっと力を抜いた感じで。削り屑は、薄さ1ミリもないミクロンの世界。絹のような手触り、見た目はとろろ昆布のようでもあります。そのまま、みそ汁の中にも入れてしまいそう。会場には、ぷーんといい木の匂いが漂いました。これぞ、プロの職人技。参加者のみなさんからは、「はっはあー」「ほおっ」といったような驚きの声があがりました。削り出された材の表面はツルツルで、手が吸い付けられる感じです。
事前準備では、北村さんはていねいに鉋の刃の調整をされていました。
会場に来られる前には、刃を丹念に研いでこられたと思います。
参加者の中から希望される方に削り体験をしてもらいました。
木工の仕事をされている方も鉋削りが初めてという初心者も、よく研がれた鉋の削り具合の気持ちよさに満足されたようです。「力を入れなくても、気分よく削れました」と。
会場からは質問も数多く出て、あっという間の1時間半。削り屑をおみやげにして、参加者のみなさんは帰路につかれたのでした。
樹齢何百年(時には千年以上)ものヒノキを使って、何百年も持たせる寺社を建てる。そのために、木の癖を見分け、木の乾燥に気を配り、道具の手入れをかかさず大切に扱う。さらに、口伝にもある「神仏をあがめずして社頭伽藍を口にすべからず」という精神をもって作業にあたる。何世代もの後世に残る仕事をする宮大工さんの奥深さに触れた会となりました。
宮大工・北村智則さんは、まさに「木とふれあい、木に学び、木と生きる」を体現されている方でした。
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